来日後、1年半経ってからは仕送りも開始した。
「考えられる仕事は全部したね。ティッシュ配り、新聞配達、工事現場、皿洗い、ラーメン屋、焼き鳥屋、おでん屋、中華、イタリアン、喫茶店などなど。厨房の仕事がメインだったけど、ウェイターもやった。冬は外でティッシュ配り、夏は屋台の焼鳥屋で働くといった具合で、それは苦労の連続だった」

正月以外は働きづめ。そして来日して3年が過ぎたころ、仕送り以外にコツコツ貯めたお金で株を始めた。買ったのは本屋で立ち読みした雑誌の推奨株「三菱鉛筆」とか「八木アンテナ」。「下流社会から脱出したい!」という野心もあったが、「金持ちになれないと故郷に帰れない」という気持ちが強かった。結果は無残な失敗に終わったのだが…。
■中国で社長になったら、日本の留学生は採用しない!
日本語学校、大学の聴講生を経て、24歳で大学を受験。いったんは帰国することも考えたが、中国人のメンタリティとして、お金か学歴のどちらかを手に入れないと帰ってもメンツが立たないのだ。
受けたのは留学生に人気が高かった日本大学経済学部。理由はカンタン。4年間ずっと水道橋キャンパスなので、バイトの時間を確保できるからだ。380人が受験し、合格者は40人だった。
「日本人の学生とはつきあわなかったね。年齢の差もあるけど、話がつまらない。日本の大学は楽勝ですよ。遊んでいても卒業できるもの。もし中国に帰って社長になったら、私は日本の留学生は一切、採用しないね(笑)」
お~い、日本の大学生、聞いとるか~? 陳さんは日本の大学生が貯金を持っていないことにも、驚いたそうだ。
「親には立派な家電製品を買ってあげたが、私は300万円貯めてからも自分が使うテレビや冷蔵庫などは拾ったもののまま。おそらく日本人は300万円なくても買ってるでしょ。日本人の学生に自分が300万円貯金があるって言ったら、びっくりして、“お父さん金持ちだろ”って。とんでもない!」
■ジュリアナ東京・北京版に出資して大失敗
陳さんは、入学して2年目からは奨学金をもらい、大学3年の時にはすでにゲーム会社の社員だった。資金的にも余裕ができたので今度は「ベンチャー」に出資したが、これが大失敗。
「北京にジュリアナ東京の北京版をつくるっていう話だったんです。200万円くらい損しました。それですごく勉強して、兜町(※)の有名な先生に弟子入りしたんです。今度は彼のアドバイスに従って投資をしたら、日経平均の下落と共にまたしても大損。そこからは独学で猛勉強しました。お金がないから端株投資から始めたんですが、かなり取り戻しましたよ」
どこまでも悲壮感が漂うが、陳さんのタフさには脱帽。そして一連の投資経験が、証券会社への就職へつながっていく。
(※編集部注:兜町は東京都中央区にあり、数多くの証券会社が立ち並ぶ街。その名前は株式市場の代名詞となっている)
(「陳満咲杜さん生い立ち記(2) 自分バブルが到来! 月に500万円稼いだ!!」へつづく)
(取材・文/八村晃代)
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