(「陳満咲杜さん生い立ち記(1) 所持金5000円からどう這い上がったのか?」からつづく)
20歳のとき、所持金5000円で来日。生活のためバイトに明け暮れ、暗黒の20代を過ごした陳満咲杜さん。投資でも大損し、まさに痛恨の極み。ところが30歳になると一転、“自分バブル”が訪れる…。
陳さんは来日後、一切色気なしで馬車馬のように働き、それから「さあ金持ちになるぞ」とコツコツ貯めた貯金を投資して大失敗。だが、株について猛勉強したことをきっかけに、証券会社に就職した。
人生に“無駄なこと”などひとつもない。
ところが、採用はFA(ファイナンシャル・アドバイザー)職で、いっしょに研修を受けたのはオバチャンばかり。「オバチャンばかり」が不満だったわけではないが、「ここでは出世できない」と思い3カ月で辞表を提出した。
■「自分はスケベではない」と確信!?
次に就いた職は、日本語学校の生徒を中国で募集するスタッフ。しかし、この仕事も半年でヤメ。
「経営者がスケベで、スナックを毎晩3軒はしごするんです。私もいっしょに豪遊しました。一流ホテルに泊まっても、気づいたら床で寝ていたことも何度かあった。給料は25万円だったけど、3カ月で激ヤセしちゃって。通訳もしなきゃならないし、毎晩、遊ぶのは疲れるだけでバカバカしい」
この時、陳さんは「自分はスケベではない」と確信したそうだ。実はストイックなのだ。
■自分バブルが到来! いい時は月に500万円稼いだ!!
その後、中国株の取引経験が買われ、中国情報専門誌の株式担当記者へ。そこで書いた株式記事が中国系米国人の目に留まり、彼のスカウトを受け、いよいよFX業界入りすることとなった。
そこでトップの成績を収め、香港やアメリカ研修のチャンスを勝ち取り、米国のオーナーに気に入られて、カスタマートレーダー、チーフトレーダー、アナリスト、ヴァイスプレジデント、関連会社の支店長、最後には役員までほぼ一直線に出世したという。
ついにいい波がやってきた!
陳さん、最初の仕事だったカスタマートレーダーは、客の注文を受けて、自分の判断で売買するもの。給料は歩合制。負けるとお客さんが離れていってしまうから、精神的にはきつい。毎日20時間相場を張り、いい時は月に500万円稼いだそうだ。
「30歳になって、いきなり自分バブルですよ。灰色からバラ色ね」
そりゃー、有頂天になって当然だろう。「千円札を出すのに抵抗があった」ほどの極貧留学生が、札束持っちゃうんだもの。

「やっぱり、金銭感覚は狂いました。70万円もする、いいスーツを平気で買ったり、いいホテルに泊まって、いい食事もする。出勤は毎日タクシーで、女性にブランドものをホイホイ貢いでいた。あの頃はクレイジーだったね」
つくづく…、「反動」は怖いのだ。
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