数十万円の元手をトレードで殖やして数千万円、数億円に…。そんなことを夢見る個人投資家は数多い。しかし、現実はそう甘くない。そこまでの成功を収められるのはほんの一握りの人たちだけだ。
今回の記事の主役はとても面白い珍しい経歴の持ち主。何が珍しいのかというと…。まず、この人は、個人トレーダーとして大成功を収めており、前述した「一握りの人たち」に入っている。
しかし、それぐらいなら「全然珍しくないよ」と思った人もいるかもしれない。大成功を収めた個人トレーダーは「一握り」といっても、当サイト「ザイFX!」をはじめとした投資関係のメディアには、そういう人たちが結構ちょくちょく登場するからだ。
しかし、その人の今のポジションはFX会社の社長なのである。これは珍しくはないだろうか?
100社以上ものFX会社がひしめき合うFX業界。居並ぶFX会社の社長の中で、専業の個人トレーダー歴があり、それもトレードで大成功を収めた後に社長となった人はおそらく他にはいないのではないだろうか? 「銀行で為替のディーラーをやっていた」といった話とは、ちょっと状況が違うのだ。
前振りが長くなった。そんなユニークな経歴を持っている「その人」とは、“マネパ”の愛称で知られるマネーパートナーズの名物社長、奥山泰全さんである。
絶えず揺れ動く為替相場のように(?)、奥山さんの人生は紆余曲折の連続だったようだ。投資関連の話を中心に、そんな奥山さんのキャリアをたどってみよう。
■1日22時間勉強して、偏差値30未満から85へ!
まずは大学受験時の話。奥山さんは高校時代、最初は遊んでばかりいたため、高校2年の終わりには偏差値が30に満たなかったという。
「全校400人中、380番といった成績ですね。三重県の田舎の高校だったんですが、『東京の大学に行きたい』と先生に言ったら、『おまえが東京の大学に行けたら、ましてや六大学に入れたら、銅像が建つぞ』と言われるぐらいの成績だったんです。
そこから一念発起して、高校時代の終わりから浪人時代にかけては1日22時間ぐらい勉強しました。毎日意識がなくなるまで、とにかくずっと勉強するような生活をしたんです。
そして、浪人の1年間が終わる頃には、偏差値が85ぐらいになっていました。代ゼミ(代々木ゼミナール)の模擬試験で1番とか2番を取るようになってましたね」
1日22時間勉強して、偏差値30未満から85へ! 大学受験時の話からして、ボラティリティがやたらに高い!
そして、大学は東大、早稲田、慶応、明治と合格! 高校の先生の言葉がよほど悔しかったのか、東京六大学ばかり受験して、見事4つを制覇(?)した。ただ、故郷に銅像は建ててもらえなかったらしいが…。
その結果、入学したのは東大なのかと思いきや……そうではなく、慶応の商学部に入学したのだった。福沢諭吉の精神に共感したからとのことである。
■バブル絶頂期にコツコツ貯めた資金で四国電力株を購入
さて、そんな激しい大学受験時代の合間に、早くも奥山さんは投資を開始していた。
「当時、近代史にすごく興味を持っていて、財閥を作った人がどうやって立身出世していったのかといったことを調べたりしていました。その中で、国際興業を起こした小佐野賢治さんの自伝を読んだら、『日本で貧乏人が金持ちになる数少ない方法の一つは投資で成功することだ』と書いてあったんです。
それで、『投資ってなんなんだ?』と思い、自分でも投資してみようと思い立ちました。それがすべての始まりですね。
まずは、株式投資の本を買い漁って、読みまくりました。そうしたら、株の入門書には『最初は堅実に動く低位株から狙うべき。電力株などインフラ銘柄がいい』と書いてあったんです。そこで、四国電力の株を買ったんですよ」
奥山さんには、バイト代やお年玉をコツコツ貯めた約150万円の貯金があった。それをいっぺんに四国電力株に投じたのである。
それは奥山さんが高校3年生の時。1989年の終わりから1990年にかけてのことだった。
相場好きの読者にはもう結果が見えたことだろう。
1989年の終わりといえば、日経平均が3万8000円以上をつけた平成バブルの絶頂期。
そこからバブルは崩壊し、堅実に動くはずだった四国電力株は来る日も来る日も下げ続けた。約150万円が3分の1の約50万円になるまで半年もかからなかったそうだ。
■国会図書館に行って10年分の四本値を書き写す
最初はガーンとやられて、どん底に叩き落とされるが、そこから一念発起して尋常ではないぐらいのとてつもない努力をする……それがどうも、奥山さんの一つのパターンのようだ。
四国電力でやられた奥山さんは、もっと勉強しなければダメだと思い、その後本格的に投資の勉強に入った際、国会図書館へ通い詰めたという。目的は四国電力の株価データを入手することだ。
「今はネットで株価のデータを簡単に入手できますが、当時はデータが全然なかったんですね。そこで、国会図書館に行って、新聞から日足の四本値(始値、高値、安値、終値)をノートに10年分書き写したんです。
最初に研究対象とした銘柄は四国電力。まずは負けた銘柄に取り組もうということです。
それを家に持って帰ってきて、四本値をパソコンに手打ちで入力するのです。その後は、さらにそれをテクニカル分析するためのプログラムを自分で作りました。
当時は手軽に読めるテクニカル分析の本などなくて、日本テクニカルアナリスト協会編集の『日本テクニカル分析大全』のような、ものすごく分厚い百科事典みたいな本しかありませんでした。
それが本の値段もかなり高いので、本屋で立ち読みして計算式を目に焼き付けて、家に帰ってプログラムを作る……なんて、バカなことをやってましたね」
今では想像できないほど、大変な環境の中、奥山さんは株のテクニカル分析を続けていった。そして、そこから出た結論は…
「テクニカル分析では勝てない、うまくいかない、マーケットを当てることはできない、ということに行き着きました。
ちなみにファンダメンタルズの方も『会社四季報』を10年分とか比較して、いろいろやってみましたけど、これもダメでしたね」
そこからバブルは崩壊し、堅実に動くはずだった四国電力株は来る日も来る日も下げ続けた。約150万円が3分の1の約50万円になるまで半年もかからなかったそうだ。
■国会図書館に行って10年分の四本値を書き写す
最初はガーンとやられて、どん底に叩き落とされるが、そこから一念発起して尋常ではないぐらいのとてつもない努力をする……それがどうも、奥山さんの一つのパターンのようだ。
四国電力でやられた奥山さんは、もっと勉強しなければダメだと思い、その後本格的に投資の勉強に入った際、国会図書館へ通い詰めたという。目的は四国電力の株価データを入手することだ。
「今はネットで株価のデータを簡単に入手できますが、当時はデータが全然なかったんですね。そこで、国会図書館に行って、新聞から日足の四本値(始値、高値、安値、終値)をノートに10年分書き写したんです。
最初に研究対象とした銘柄は四国電力。まずは負けた銘柄に取り組もうということです。
それを家に持って帰ってきて、四本値をパソコンに手打ちで入力するのです。その後は、さらにそれをテクニカル分析するためのプログラムを自分で作りました。
当時は手軽に読めるテクニカル分析の本などなくて、日本テクニカルアナリスト協会編集の『日本テクニカル分析大全』のような、ものすごく分厚い百科事典みたいな本しかありませんでした。
それが本の値段もかなり高いので、本屋で立ち読みして計算式を目に焼き付けて、家に帰ってプログラムを作る……なんて、バカなことをやってましたね」
今では想像できないほど、大変な環境の中、奥山さんは株のテクニカル分析を続けていった。そして、そこから出た結論は…
「テクニカル分析では勝てない、うまくいかない、マーケットを当てることはできない、ということに行き着きました。
ちなみにファンダメンタルズの方も『会社四季報』を10年分とか比較して、いろいろやってみましたけど、これもダメでしたね」
■投資には必ず勝てる方法はあるんだよ
さて、大学時代の奥山さんは学生を相手に、Tシャツやスタジャンを販売するベンチャービジネスもはじめていて、結構な利益を上げていた。
そのベンチャービジネスの関係で立ち寄った共同オフィスに、ゴミ箱に大きなグラフ用紙をたくさん放り込んで置いている人がいたという。最初は設計屋さんかな? と奥山さんは思ったそうだが、そのグラフ用紙にはよく見ると、ローソク足が描かれていた。
それがパンローリングの社長・後藤康徳さんだった。パンローリングはコアなトレーダーに人気の書籍・DVDなどを出している出版社だ。
自身の経験から、「投資はそんなにうまくいくもんじゃない」という話を後藤さんにした奥山さん。すると、後藤さんからは「それは違うよ。投資には必ず勝てる方法はあるんだよ」という答えが返ってきたという。
(「マネーパートナーズ・奥山社長に聞く(2) 5億円以上儲けたそのトレード手法とは?」へつづく)
(取材・文/ザイFX!編集部・井口稔 撮影/和田佳久)
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