■円安進行予想一転、2日間で20円の円高に!
しかし、その後の相場がどうなったかというと、それこそ専門家の大半を狼狽させた出来事の連続だった。
第二次橋本内閣が退陣した途端、1998年9月に政策金利が引き下げされ、10月7日(水)、8日(木)のたった2日間で、何と20円の円急騰(円高)もあった(※)。
(※編集部注:1998年10月はいわゆる「LTCMショック」によって、非常に急激に円高が進んだ。参考記事→「マーケットの大惨事は夏に発生しやすい。2012年は『夏場の呪い』があるのか?」、「相場は攻めるは易く、守るは難い。勇気を持って休むことも大切」、「大相場の際に為替レートが乱高下する理由」)
(出所:米国FXCM)
その後の日本長期信用銀行国有化や日本債券信用銀行の国有化もあって、円が一段と買われ、1999年には101円台まで迫ったことは記憶に新しい。
■目先、米ドル/円は調整とみるが、値幅は4円程度か
こういった前例に照らして考えてみれば、今だからこそ冷静になり、巷のコンセンサスと距離を置いた方が良いのではないかと思う。
確かに現在進行中の日銀異次元緩和が前例なしといえば、前例がないことだが、あと何年か経つと、こういう前例なしのことが1998年の出来事と大差がないことを総括できるかもしれない。歴史も相場も、繰り返すものである。
したがって、近々の相場に関しては、当面円安の目標達成感が強く、いったんスピード調整の公算が高いとみる。
一方、ファンダメンタルズの急変がない限り、目先メイントレンドとしての円安は崩れないから、調整波も限定されると思う。
現時点の相場環境に限って言えば、米ドル/円の調整は、あっても4円程度に留まるのではないだろうか。
(リアルタイムチャートはこちら → FXチャート&レート:米ドル/円 日足)
もっとも、来年(2015年)に向け、一段と円安の余地ありといった視点自体、筆者は否定しない。言いたいのは、現在の円安スピードや水準は、巷で言うコンセンサスをすでに織り込み済みで、短期スパンにおける限界に近づいているとみる。
中長期でさらなる円安余地が拡大するかどうかは、主に「日銀追加緩和の有無」と「外部要因、特に米国株バブル崩壊の有無」の2点に左右されると思う。
こう書くと、何を言っているのかというお叱りも容易に想定できる。要するに、「日銀が緩和姿勢なのは決まっていることではないか」、あるいは、「なぜ、米国株はバブルだと決めつけるのか」といったものだろう。このあたりの話は、また次回触れていきたい。
■80円でも米ドル/円を買えなかった苦い過去、その理由は…
最後に、ちょっと「余計」なことでも書いておこう。
筆者は1992年10月に来日し、1995年まで一貫して円高の進行を見てきた。当時、日中経済格差が大きく、筆者を含め、ほぼ無一文で来日した留学生の多くは、アルバイトで生計や学業を維持しなければならないだけでなく、実家への仕送りも盛んにやっていた。
当然のように、円のレートには非常に敏感で、みんな、為替相場を常にチェックしていたほどだ。
1995年4月、つい円が80円の大台に接近していた。今考えてみれば、苦労して蓄えた円で、その円高の好機を利用して米ドルを買っておけば、その後の円安進行で大きな利益が手に入ったはずだった。
(出所:米国FXCM)
もちろん、それは幻想で現実ではなかったので、筆者は相変わらず「暗黒な青春期」を送っていた。
なぜなら、当時筆者は、何となく円高の行き過ぎを感じていたものの、新聞、雑誌やテレビに出る専門家の意見ばかりに左右され、さらなる円高の到来を期待し、米ドルを買えなかったからだ。
というのも、当時新聞を開けば、「円高、60円台突入必至」といった見出しがザラであったから、流されずにいられなかったのだ。
明日の新聞に「円安、130円台突入必至」という見出しをみつけたら、みなさんはどう思うだろうか。
株主:株式会社ダイヤモンド社(100%)
加入協会:一般社団法人日本暗号資産ビジネス協会(JCBA)