■ロンドンに住んでいたら英ポンドはとても買えない
「英ポンドを買うなんてとんでもない! それがイギリスに住んでいる身としての実感です」
そう話し始めたのは、ロンドンから一時帰国中のロンドンFXこと松崎美子さん。
スイス銀行を皮切りにバークレイズ銀行やメリルリンチなど名だたる金融機関で活躍した元為替ディーラーだ。
2016年6月のBrexit(英国のEU離脱)決定に始まり、10月にはフラッシュクラッシュ、今年(2017年)も突然の解散総選挙に利上げと話題に事欠かない英ポンドだけど、暗い影を落とすのはやっぱりBrexitだ。
【参考記事】
●圧勝するつもりの選挙で過半数割れ!? 英総選挙で保守党敗北、英ポンドは急落!
(出所:MetaQuotes Software社のメタトレーダー)
■次の難関は12月のEUサミット
「とにかく問題が山積みなんです。次の大きなイベントは12月14日-15日開催のEU(欧州連合)サミット。
それまでに3回の下交渉を行ないたいのですが、英国側の姿勢が固まらないため、下交渉の日程も決められない。このままだと『白紙』でのBrexitになる可能性だってゼロではありません」
EUサミットでテーマとなるのは、次のような項目だそう。
・英国がEUに支払う“慰謝料”の金額
・北アイルランド(イギリス領)とアイルランド共和国(EU加盟国)の国境の取り扱い
・EU在住の英国人/英国在住のEU市民、それぞれの市民権の取り扱い
「それを12月までに決めてやっと、英国が喉から手が出るほど欲している貿易交渉のスタートラインに立つ、というのが今の筋書きです。
11月上旬の交渉中、とうとうEU側は慰謝料額決定時期を一方的に設定してきました。かなりEU側の苛立ちが目立ってきています」
■ソフト、ハード、ウルトラハード
英国にとってはかなりハードルの高い交渉となるようだ。たとえば慰謝料。メイ英首相が9月の演説で提案した200億ユーロに対して、EU側の要求は600億ユーロから1000億ユーロ。開きは大きい。
「交渉期間の終了は2019年3月29日。2018年10月ころまでに離脱条件をまとめ、英国、EUそれぞれが批准の準備を開始し、21カ月から24カ月の移行期間を経て2020年12月から2021年3月末にBrexitへというのが基本的なタイムライン。
でも、このまま交渉が難航するようだと『2年の移行期間を待たずにEUを出ちゃおう』となる可能性だってゼロではない。
そうなったら国民の生活はとても厳しい。だってEUから輸入する野菜に59%の関税がかかることになるんですから」
2020年12月から2021年3月末にBrexitへというのが基本的なタイムラインとしながらも、前倒しの可能性もあると語る松崎さん。そうなると、国民の生活がとっても厳しくなるそうなのだが…
交渉が進まないのは英国側に要因があるようだ。
「メイ英首相はレームダック(死に体)だし、英国人から大人気のボリス・ジョンソン外相はBrexitが完了するまで首相には就かないと表明しています。
保守党内部はハードBrexit派、ソフトBrexit派、それにウルトラハードBrexit派に分かれていて到底、一枚岩ではありません」
■お先真っ暗でも利上げを敢行した理由とは?
そんな状況なのに11月、BOE(イングランド銀行[英国の中央銀行])は利上げを敢行した。これってどういうことだろう?
(出所:MetaQuotes Software社のメタトレーダー)
「BOEのインフレターゲットは『2%±1%』。ところが、8月の英CPIは2.9%、9月は3%と上限に達しているんです。
ロンドンで暮らしていると、とてもじゃないけど利上げできるような景気とは感じませんが、10月分のCPIも3%を上回る見通しですから、利上げせざるを得なかったんです」
■2020年末までの利上げ予想はわずか2回
焦点はむしろ、来年(2018年)以降も継続して利上げを行なうのかどうかだ。
「同時に発表された『インフレレポート』では、『作成の基礎となった将来の金利水準は、3年後に1%水準となる』と明記されています。
11月が0.25%の利上げで0.5%になりましたから、利上げ余地はあと0.5%。つまり、3年後までに0.25%の利上げが2回だけということになります」
インフレレポートから予想される利上げ時期は、2018年第3四半期と2020年第3四半期。想定されるFRBの利上げペースと比べると、はるかに遅い……。
■通貨安がインフレを加速させれば、利上げやるやる詐欺を!?
「マーケットも利上げペースの遅さを失望して、英ポンドの実効レートは利上げにもかかわらず1.7%の急落となり、76ポイント台へ。
昨年(2016年)10月には1980年以降で最低となる74割れを記録しましたが、このまま安値を更新するようだと、70ポイントまで下落する可能性もないとは言えないでしょう」
そもそも利上げのきっかけとなったCPIの上昇は通貨安が原因だった。
「昨年(2016年)10月に実効レートが74ポイントを割った時のCPIは1%前後でした。それから1年、通貨安が輸入物価を押し上げたことでCPIは3%へと2%近くも急騰しています。
今、再び通貨安が進み、CPIが上昇すればカーニーBOE総裁は厳しい立場になる。英ポンド安を食い止めるため、カーニー総裁は2014年から15年にかけて行なっていたような『利上げやるやる詐欺』を繰り返すかもしれませんね。
『1992年の屈辱』のせいでBOEは為替介入は避けたいでしょうから」
■1日で政策金利を5%引き上げ!? 「1992年の屈辱」とは?
「1992年の屈辱」とは、ジョージ・ソロスが仕掛けた英ポンド売りに対して、BOEが英ポンド買い介入で対抗した世紀の一戦。
【参考記事】
●ポンド危機:中央銀行がヘッジファンドに敗れポンドが暴落した「ブラックウェンズデー」
写真は1986年、55~56歳のころに撮影されたジョージ・ソロス氏。1992年、ソロス氏が仕掛けた英ポンド売りに対してBOEが英ポンド買い介入で対抗した世紀の一戦があった (C)Ted Thai/Getty Images
当時はバークレイズ銀行のディーリングルームで働いていた美子さん、この戦いを最前線で経験していた。
「ソロスをはじめ、ヘッジファンドはどんどん売ってくる。それに対してBOEは介入で対抗しましたが、介入だけではどうにも太刀打ちできなくなり、とうとう利上げしか通貨防衛策がなくなってしまった。
当時のラモント財務相がテレビに出て、『金利を引き上げます』と1時間ごとに繰り返して、1日で政策金利を5%も引き上げました」
しかし、ヘッジファンドの売りは止まず、BOEは通貨防衛を諦めざるを得なくなった。
「マーケットから英ポンドのプライスが消えてしまったんです。2015年のスイスショックのようなことが英ポンドで起きたんです。
この時にヘッジファンドに打ち負かされた屈辱は今でも英シティでは語り継がれていて、協調介入は別にして、BOEは介入を避けているんです」
【参考記事】
●プライスが消えた…。現役インターバンクディーラーが語ったスイスショックの瞬間
物価安定のために極端な英ポンド安を避けたいBOEに対して、今、もしヘッジファンドが英ポンド売りを仕掛けたらどうなるだろうか。
(出所:MetaQuotes Software社のメタトレーダー)
■すでに利上げに悲鳴! 英国人が金利に敏感な理由とは?
「1992年と同じようなことが起きないとも限りませんよね。それに景気が落ちこんで物価が上昇すれば生活だって苦しくなる。
1992年当時も私たち、物価高と金利上昇での住宅ローン負担の重さに泣きながら暮らしていましたから…」
日本では実感が湧きづらいけど、英国は金利上昇に敏感だそう。
「英国は持ち家比率が高く、多くの世帯が住宅ローンを組んでいるためです。今回の利上げに対しても、すでに悲鳴が上がっているんです。これから冬、暖房費がかかるのに住宅ローン金利が高くなったら、暮らしていけない!と」
松崎さんいわく、今回のBOEの利上げに対しても、国民からすでに悲鳴が上がっているという。どうやら英国人は「借金体質」になっているようなのだが…
BOEが利上げに動くのは2007年以来。低金利に浸りきっていたため、英国人は「借金体質」になっているそう。
「低金利だからどんどん借りて、どんどん使う。その習慣をもとに戻すのは大変です。
ただ、一部ではすでに支出引き締めの動きが見えていて、自動車の販売台数は低下しているし、BOEはクレジットカードなどの利用の引き締めへと動いています。
個人支出の落ち込みが心配ですよね」
(「欧州で懸念される『2つのドミノ』に警戒! 美子さんが注目している意外な通貨って…!?」へつづく)
(取材・文/ミドルマン・高城泰 撮影/和田佳久 編集担当/ザイFX!編集部・庄司正高)
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