■英ポンド暴落で被害者多数!!
「殺人通貨」の異名を持つ英ポンドの本領発揮というべきだろう。10月7日(金)、朝8時すぎ、英ポンドは大暴落。大きな損失を被った人も多かったようだ。
(リアルタイムチャートはこちら → FXチャート&レート:英ポンド/米ドル 30分足)
(出所:YJFX!「ファイナンススタジアム」)
■英ポンド暴落の安値、なぜ、こうも違うのか?
この英ポンド殺人事件、謎は多い。8時には1.26ドル台だった英ポンド/米ドルはいくらまで下ったのか? こんな単純な質問にすら答えるのが難しいのだ。
10月7日(金)の安値を見ると、セントラル短資FXでは1.14011ドル。ところが、楽天証券では1.23024ドルと800pips以上の差が開いているのだ。差があるのは、この2社だけではない。
主だったFX会社の10月7日(金)の安値(ビッド=売ることができる価格)を比べたのが以下の表だ。
この表を見ると、安値の食い違いだけでなく、もう1つの謎に気がつく。英ポンド暴落は8時台だったはずなのに、楽天証券とマネーパートナーズでは安値をつけた時間帯が19時台。他社と大きく異なっているのだ。
※各FX会社の1分足や5分足チャートにて、8月7日(金)の英ポンド/米ドルの安値と安値をつけた時間を調査。為替レートはビッドのレート。
■FXでは会社ごとにレートが違って当然。だけど…
誰かがウソをついているのだろうか? 決して、そういうわけではない。為替市場は基本的に「OTC(相対取引)」(※)。株式市場のように中心となる市場があるわけではなく、買いたい人と売りたい人が折り合えば取引は成立する。
円を米ドルに交換したい輸入企業だったら、いろんな銀行に電話して少しでもいいレートを探すかもしれないし、「いつも御行を使ってるじゃないですか~」なんて寝技に持ち込んで、有利なレートを引き出そうとするかも。同じようにFX会社が提示する為替レートも一律ではないから、会社によって違いはあって当然だ。
ただ、今回のように800pipsも差が出るのは非常に珍しい。平時なら1pipsも違わないことが多いし、米雇用統計の発表直後のような乱高下する時だって、せいぜい10pips、20pips程度の違いだ。
とすると、10月7日(金)の英ポンド安値、本当はいったい、いくらなのだろうか?
(※編集部注:日本の為替市場には「くりっく365」という取引所取引もあるが、その取引量は少なく、日本株における東京証券取引所のような存在ではない。為替市場は基本的に「OTC(相対取引)」ということで間違いない)
■銀行の安値は1.1838ドル水準
信憑性が高いと思われる経済メディアは安値をどう報じたのだろうか。
ロイターの1.1491ドルに対して、ブルームバーグは1.1841ドルと、やはり、ここでも350pipsの食い違いがある。
「為替取引は相対ですから銀行やFX会社によって安値が異なるのは当然です。ただ、こうした時に基準となるのは大手の金融機関で取引されたレート。今回でいえば、1.1838ドルあたりの水準が多くの銀行で安値となっています」(元HSBCチーフトレーダーで為替取引の電子仲介システム創設にも携わった竹内典弘さん)
【参考記事】
●HSBCの元チーフトレーダーが教えるプロの思考。為替を動かす3要素とは?
1.1838ドルが基準とはいえ、それより下の銀行もあるだろうし、上の銀行もあるはず。あくまでも「1.1838ドルあたりが基準」とぼんやり考えておくのが良さそう。
「また、あとから安値が調整されることもあります。今回もロイターは当初、安値を1.1378ドルと報じていました。ところが後に、『7日のポンド/ドル最安値、取引キャンセルで1.1491ドルに修正』との記事を出しました。10月7日(金)のような暴落時には自社や優良顧客の約定レートを調整するんです。もちろん、それをやった銀行の信用や評判はガタ落ちですが…」
■英ポンド殺人事件の犯人は誤発注じゃない?
大きな混乱を招いた英ポンド暴落、何が原因だったのか。市場では「ファット・フィンガー」(誤発注)説も流れているが。
「ファット・フィンガーなら瞬間的に暴落してもすぐ反発するはず。それに銀行同士で、『あれは誤発注だからキャンセルを』といった交渉をすることもあります。しかし今回、そんな話は耳にしていません。説明に困ったアナリストが苦し紛れに言っているだけでしょう」
となると、英ポンド暴落の真相は?
「推測になりますが、8時の段階の水準よりも少し下、1.2550ドルあたりにストップが見えていて、それをつけてひと儲けしようとした銀行ディーラーがいた。彼が2580売り、2570売り、2560売りと下げていったが売れず、さらにレートを下げていったのがきっかけでは」
これを見て焦るのがオプションのトレーダー。この日、英ポンド/米ドルには1.25ドルに大きなバリアオプションがあったようだ。1.25ドルがついてしまうと、オプションの売り手は大きな損となるから、1.25ドルを割らせまいと防戦買いするし、1.25ドルを割ってしまいそうになったら反対に英ポンド/米ドルを売ってリスクヘッジする。
「オプションの売り手は『これはマズい』と1.2480ドルあたりに売りを入れる。しかし、朝8時台なんて流動性が非常に低い。下げを見たHFT(超高頻度な自動売買)が先回りして売っていくから、オプショントレーダーの英ポンド売り注文が約定しない。
思ったように売れないディーラーやトレーダーが、我先にと売っていき、HFTも便乗してさらに売り浴びせることで暴落に至った――おそらくこれが正解でしょう」
最初はちょっとした下げを演出するつもりだった銀行ディーラーの動きにHFTが便乗して急落、そこにオプショントレーダーの動きが重なって、暴落に至ったというのが、「為替探偵・竹内」の推理だ。
ただ、真相はまだ闇の中。ファット・フィンガー説も有力だし、BOE(イングランド銀行[英国の中央銀行])が調査に乗り出してもいる。今後、意外な真相が出てくるのかも…。
■ティックデータから現場を検証する
英ポンドの暴落は、10月7日(金)8時7分からの5分ほどで起きている。ここの動きをより細かく見ていこう。
参考にしたのはデューカスコピー・ジャパンのティックデータだ。ちなみにティックは1回の値動き。ティックデータを見れば、その会社がどんな為替レートを提示していたのか、おおよそ把握できる。
デューカスコピー・ジャパンは、インターバンク市場に直結した「NDD」(ノンディーリングデスク)型の口座であり、世界的に利用者がいる。特に短期トレーダーで愛用する人も多く、流動性の高さには定評がある。
【参考記事】
●FX超上級者は以前から知っていたらしい! 大口取引もスイスイできる独自ECNの会社
1社だけのデータなので完全とは言えないが、前述のとおり、世界的に利用者がいるインターバンク直結型の口座だけに、デューカスコピー・ジャパンのティックは、為替市場全体の動向を比較的強く反映していると考えても良いだろう。
※デューカスコピー・ジャパンのティックデータより作成
■8時7分、事件は始まった!
デューカスコピー・ジャパンのティックを見ると、異変が起きたのは8時7分からの数分だ。
まずは8時7分のティックをグラフで見てみよう。赤線がビッド(※)、青線がアスク(※)の推移を示しており、2つの線の乖離がスプレッドということになる。また、ティックをもとにしているため、横軸は時間の推移を等間隔で示しているわけではないことに注意してほしい。
(※編集部注:ビッド(BID)はFX会社側の買値であり、ユーザー側の売値。アスク(ASK)はFX会社側の売値であり、ユーザー側の買値)
※デューカスコピー・ジャパンのティックデータより作成
8時7分ちょうどからの10秒ほど、1.25ドル割れまでは通常の急落のように見える。大きく値が飛ぶようなことはなく、なだらかに(といっても10秒で100pipsの暴落だが)落ちているし、スプレッドも落ち着いている。
もし、誤発注があれば1ティックで大きく値が跳ぶような場面があるはずだが、そうはなっていない。
1.25ドル手前では下げの勢いがいったん弱まり、バリアオプション特有の防戦買いっぽい動きにもなっている。竹内さんの説明とも符合するだろう。
動きが明らかにおかしくなるのは、1.24ドルを割ったあたりから。スプレッドの広がりが顕著となり、1ティックで数十pips動くような場面も多発している。竹内さんが言っていたように「HFTが先回りして売っちゃうから売りたいのに売れない、レートを見ずに売る」ような状況となっていたようだ。
■デューカスコピーの安値は、「8時9分2秒」
さらに8時8分以降のティックを見ると、もうグチャグチャ。
デューカスコピー・ジャパンでは8時9分2秒にこの日の最安値1.19347ドル(ビッド、以下同)をつけているが、その18秒後には1.21878ドルと268pipsも急騰している。この間にはわずか10ティックしかなく、流動性の高さが特徴のデューカスコピー・ジャパンであってもこのありさま。インターバンク市場は極端に薄くなっていたようだ。
※デューカスコピー・ジャパンのティックデータより作成
■カオスな状況にFX会社は取引を停止させた
そのためだろう、FX会社の中には、8時9分あたりからプライスが消えていた会社も多かったようだ。1分足チャートを見ると、8時9分から数本、足が表示されていない会社が目立つのだ。
冒頭に示した謎のひとつ、「なぜ、FX会社によって安値をつけた時間帯にズレがあるのか」は、これで解決できる。英ポンド/米ドルがインターバンク市場で最安値をつけたと思われる8時9分前後にプライスを出していなかったFX会社があったためだ。
「プライスを出さないなんて卑怯な!」と思うかもしれない。FX会社の肩を持つわけではないが、そこは考え方次第で、「ワイドなスプレッドでレートを提示するくらいなら取引をいったん止める」という理屈も成り立たないわけではない。あるいは、そもそもカバー先が英ポンドのプライスを出してくれなかったら、FX会社だってレートを提示できないわけだし。
このとき、FX会社には「ワイドなスプレッドでも絶えずプライスを提示する」か、「あまりにスプレッドが広がるようならいったん取引を止める」という2つの考え方があったようだ。
■安値のビッドとアスクから「擬似スプレッド」を計算
各社がどのような対応で、どんなレートを提示していたのか、1分足チャートに残されていた8時9分足の安値をビッドとアスクそれぞれにまとめたのが以下の表だ。
もしもビッドとアスクが完全に同時に安値をつけていれば、その差がスプレッドとなる。ただ、デューカスコピー・ジャパンのティックから明らかなように、そのタイミングが異なる会社も多かっただろうから、下表に示したビッドとアスクの差は正式なスプレッドではなく、あくまで「擬似スプレッド」。参考程度に考えてほしい。
また、この表では8時9分の足がなかった場合、復活した足を対象に記載しているため、どの会社が何分間、取引を停止させたかの目安にもなるだろう。
※10月7日(金)午前8時9分の1分足のビッドとアスクの安値を記載
※8時9分の1分足が消えていた会社は8時10分以降でプライスが復活した足を基準とする
※上表のビッドとアスクの差がスプレッドとは限らない
■ポンドをめぐる「ほこ×たて」対決第2弾!
擬似スプレッドを見ると、目立っているのがSBI FXトレード。大激変があったと考えられる午前8時9分にも英ポンド/米ドルのレート配信を続けており、しかも通常どおりに1.49pipsを維持している。
SBI FXトレードは2016年6月24日の英国民投票時にも英ポンド/円で通常どおりに1.19銭のスプレッドを提示していた。いわば「絶対にスプを広げないFX会社」としての実績を持つ。それに対して、ポンドは「絶対にスプレッドを広げさせる殺人通貨」だ。
【参考記事】
●【徹底調査】EU離脱の大混乱でスプ20銭が普通の中、1.19銭をキープしたFX会社とは?
この、ほこ×たて対決、今回はどうなったのだろうかと、8時6分から15分までの1分足四本値(始値・高値・安値・終値)すべてについて、同じようにSBI FXトレードのビッドとアスクの差を調べてみた。
すると、すべての足、すべての価格について擬似スプレッド、スプレッド(※)は1.49pips。なんなんだ、この会社……。ちょっと驚異的だ。
(※編集部注:ビッドとアスクは高値と安値については、完全に同じ時刻につけるとは限らないため、ビッドとアスクの差は「擬似スプレッド」となるが、始値と終値については完全に同時刻と考えられるため、ビッドとアスクの差は正式な「スプレッド」を示していると考えられる)
※SBI FXトレードの10月7日(金)午前8時6分から15分までの1分足四本値のビッドとアスクから算出
■インターバンク市場との乖離をどう考えるか?
ただ、ケチをつけるわけではないが、SBI FXトレードにまったく問題がないわけではない。竹内さんが教えてくれたように、あるいはブルームバーグが報道しているように10月7日(金)の英ポンド/米ドル最安値は1.1838ドル前後と考えられる。それに対して、SBI FXトレードの最安値は1.205897ドルと、200pips以上の乖離がある。
うがった見方かもしれないが、「いくらスプレッドが狭くても、市場の実勢レートと乖離しているのはどうか」とする向きもあるだろう(とはいえ、「市場の実勢レート」という概念が通常時に比べると、あいまいであるのは確かだが…)。
英ポンド/米ドルを売っていて、1.20ドル割れに利益確定の指値を入れていた人だって、ガッカリしたかもしれない。
また、これはSBI FXトレードに限った話ではないが、提示したレートできちんと約定したかどうかは、また別の問題となる。
反対に基準となりそうな1.1838ドルの安値から大きく下に乖離したレートを提示したのはセントラル短資FX、ヒロセ通商、JFXの3社などが挙げられる。ただ、ロイターによれば安値は1.1491ドルだったから、おそらくこの3社のカバー先は1.18ドルを大きく下回るプライスを出していたのだろう。
殺人通貨が本領を発揮した8月7日(金)の英ポンド殺人事件。FX会社の特徴や実力、考え方を測る良い機会でもあったのかもしれない。
(取材・文/ミドルマン・高城泰)
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