(「米国GFT創業者ゲーリー・ティルキン氏に聞く(1) アメリカFXはじめて物語」からつづく)
■日本でFXが始まったのは遅かったのか?
金融に関して、あるいは金融に限らないかもしれないが、「日本は米国よりかなり遅れている、10年ぐらいは遅れている」といったことが言われることがある。
では、FXはどうだろうか?
前回触れたとおり、GFTが米国FX業界最初期の会社として、業務を開始したのは1997年のことだった(「米国GFT創業者ゲーリー・ティルキン氏に聞く(1) アメリカFXはじめて物語」参照)。
一方、日本のFXが産声をあげたのは1998年のこと。日本版金融ビッグバンを受けて、ダイワフューチャーズ(現ひまわり証券)がFXサービスを開始したのが最初だった(「知ってましたか? 10月8日は『FXの日』。それは日本でFXが始まった日!」参照)。
1997年と1998年、その差はわずかに1年。日本のFXって結構がんばっているじゃないですか! ということなのである。
ちなみに、記者の調べた限りでは、米国以外の世界各国に目を転じても、英国のCMC MarketsがFXのオンライントレードサービスを開始したのが1996年のことで、これがどうも“世界最古のオンラインFX”らしい(ちなみに、「CMC Markets」はその後、「CMC Markets Japan」という日本法人を設立した)。
ということで、世界的に見ても、日本のFXサービス開始はそれほど遅くはなかったのである。
■2000年が転換点となった米国のFX業界
話がちょっと脱線してしまった。米国FX業界の話に戻ろう。1997年の段階ではなきに等しい状態だった米国のFX業界だが、それからどう発展していったのか?
米国GFT創業者のゲーリー・ティルキン氏はこう話す。
「FXのマーケットが拡大するに連れて、参入する会社が増えてきて、一時は30~40社ぐらいまで膨れあがりました。
ただ、2000年という年が1つの転換点になりました。このとき、FXのディーラーになるには、自己資本が2000万米ドル(1米ドル=80円とすると、約16億円)必要という規制が入ったんです。
そこから10~15社ぐらいまで会社が減っていきました」

日本でもFX会社がいったんものすごく増えて、そこから淘汰・再編される動きが起こって、今現在もそれが進行中だが、米国でも似たような動きがあったようだ。ただ、この話をストレートに受け取ると、日本に比べて米国のFX会社の数はかなり少ないように感じられる。
しかし、注意が必要なのは、ティルキン氏の話に出てきた「ディーラー」という言葉。
ここで言う「ディーラー」とは金融機関で為替の取引に従事する“人”のことではない。ティルキン氏の言う「ディーラー」とは、実際に自社で顧客を抱え、自己資本の規制を受ける対象になっている“会社”のことを意味している。
また、「ディーラー」以外にも「イントロデューシング・ブローカー」(IB)に分類される業者もあり、こちらは「ディーラー」と顧客の間に入って、取引の媒介をするだけの存在だという。
そして、「米国では『イントロデューシング・ブローカー』を含めると、キリがなくなるほど会社の数がある」ということだ。
■米国の個人トレーダーは買いが好き? 売りが好き?
ここで少し話を変えて、米国の個人トレーダーはどんな取引をしているのか、ティルキン氏へ聞いてみた。米国の個人トレーダーには何か特徴があるのだろうか?
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