(「東ローマ帝国滅亡からクーデター失敗まで! トルコリラ急落の今、トルコの歴史を振り返る」からつづく)
■1990年以降のトルコリラ相場を振り返ってみよう
前回は、トルコの建国から現在に至るまでの歴史を、政治的な背景を中心に紹介しました。
【参考記事】
●東ローマ帝国滅亡からクーデター失敗まで! トルコリラ急落の今、トルコの歴史を振り返る
トルコの基本を抑えたところで、ここからはトルコリラ相場の変遷を米ドル/トルコリラのチャートで確認しながら、トルコの景気や経済などを振り返ります。
以下は1990年以降の、米ドル/トルコリラ(USD/TRY)の月足チャートです。

(出所:Bloomberg)
ここでは、相場を3つのステージに分類します。
まず、1本の線のようにも見える値動きでジリジリ上昇し、2001年に1.0リラ台(※)へ急騰(米ドル高・トルコリラ安)したところまでを「ステージ1」とします。
(※チャート上の1990~2004年の米ドル/トルコリラのレート水準は、本当は1.0リラ台などという値ではなかったのですが、なぜこのように書いているのかは、あとで説明します)
そこから2013年あたりまで、大きな流れだとレンジのようになっている時期を「ステージ2」とします。ここ数年と比較すると、かなり安定していて、ちょっと意外にも思える動きですね。
そして、それ以降を「ステージ3」とします。2013年に2.0リラを上抜け、そこから中だるみを挟みながら7.0リラ付近までトルコリラ安が進行した期間です。
■20世紀のトルコはインフレとの戦いだった!

では、分類したステージごとに、トルコリラ相場を振り返ります。まずは1990年~2001年あたりの「ステージ1」です。

(出所:Bloomberg)
トルコは1930年代から取り入れた保護主義政策で、政府の財政赤字が年々、拡大していきます。海外からの借金にも依存しすぎた結果、経常赤字も増大します。保護主義政策から脱却した1980年以降も慢性的な経常赤字は続き、外貨枯渇によるモノ不足で高インフレにも見舞われます。
下図は1990年以降のトルコのインフレ率の推移ですが、2000年までのほとんどの期間で前年比50%以上という、ものすごい高インフレが続いていたことがわかります。一時は、130%ぐらいまで上昇していた年もあったのです。

※トルコ統計局のデータを基にザイFX!が作成
トルコの金融当局はこの間、インフレに応じて一定の割合で通貨を切り下げる「クローリングペッグ制」を為替政策に採用していました。高インフレが続いていたわけですから、トルコリラの価格は対米ドルで断続的に切り下げられていきます。これが、チャート上で1本の線のように見える2000年代までの動きです。

(出所:Bloomberg)
こうした状況に、人気取りによる政権のバラマキ政策が拍車をかけると、財政が一段とひっ迫したため、金融市場で資金の調達が困難になり、1994年にトルコリラが暴落します。
その後も財政状況は改善せず、2000年末と2001年序盤には政治の混乱も引き金となって、再び金融危機に見舞われます。このときのトルコリラ大暴落で、米ドル/トルコリラは1.0リラ台に乗せます。
これ以降、トルコはIMF(国際通貨基金)の手を借りた構造改革で、経済の立て直しを図っていくことになります。これもきっかけに、通貨政策ではクローリングペッグ制が廃止され、トルコリラは変動相場制へ移行しました。
これが、ステージ1のザックリとしたあらましです。
(次ページでは、トルコリラ相場が安定期に入ったステージ2を解説。そこで政権を担い、経済回復に貢献した人物とは…?)
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