バーナム政権は英ポンドの敵か味方か
スターマー首相の退陣表明を受け、英国政界は急速に「ポスト・スターマー」へと動き始めました。後継候補の最有力と目されるアンディ・バーナム氏は、Makerfield補欠選挙で圧勝し、党内の支持を急速に固めつつあり、マンチェスター市長として高い人気を誇った同氏は、次期首相の座にもっとも近い人物となりました。
そして出だしから余談で恐縮ですが、バーナムさんは英国の首相としては珍しくケンブリッジ大学出身です。そのため、ケンブリッジ大卒業者がめちゃくちゃ喜んでいるという話しも聞こえてきます。
●政策運営の枠組み次第
バーナム人気は異常ですが、金融市場は意外に冷静です。その理由は、市場はバーナムさんご本人よりも、その先にある政策運営の枠組みを見ているからでしょう。
バーナムさんは以前、「労働党は債券市場の言いなりであってはならない」と発言し、シティ(ロンドン中心部にある世界有数の金融街)関係者を驚かせた黒歴史があります。
英国では2022年の「トラス・ショック」の記憶が今なお鮮明であり、財政規律を軽視するような発言には市場が極めて敏感に反応します。それゆえに今回の首相就任を前にバーナムさんは軌道修正を図っており、リーブス財務相が導入した財政ルールを支持すると表明し、財政赤字の拡大や無制限の借り入れを否定しています。
しかし市場の警戒感は、まったく消えていません。
●経済ブレーン達
警戒感が消えないのは、バーナムさんの周囲に集まる経済ブレーンの存在があるのかもしれません。
ここまでの報道では、元BOE(イングランド銀行[英国の中央銀行])主席エコノミストのアンディ・ホールデン氏、元ゴールドマン・サックスのジム・オニール卿、前OBR(財務省予算責任庁)議長のリチャード・ヒューズ氏らの名前が挙がっており、現在の財政ルールが公共投資を過度に抑制していると主張してきた人物たちが含まれています。
ここで簡単に説明を加えると、オニール氏とホールデン氏は、成長投資を促進するため財政ルールの見直しに前向きな立場です。それに対し、元OBR議長ヒューズ氏は政府の財政見通しを厳しくチェックしていた側の方ですので、財政ルールが厳しすぎることではなく、現行ルールのままでは財政健全化が十分には進まない点を指摘しており、必ずしも財政拡張論者ではありません。
ただし彼らに共通するのは、財政規律そのものを否定するのではなく、「成長を生み出す投資のための借り入れはもう少し柔軟に認めても良いかもしれない」という考え方と言えそうです。
誤解のないように書き加えますが、バーナム陣営が議論しているのも、ルールの撤廃ではなく、より長期的な視点で投資を評価するしくみへの見直しです。
あと細かいことですが、債券市場の人間にとっては、元OBR議長ヒューズ氏の名前を見て、「少なくとも財政の数字を理解している人間が政権内にいる」という点は、安心材料と受け取られているようです。
バーナム氏の掲げる経済思想「マンチェスタリズム」とは?
財政の次に浮かび上がるのが、バーナムさんの経済思想です。
そのキーワードは「マンチェスタリズム(Manchesterism)」。
これは1970年代型の全面国有化とは異なり、水道・エネルギー・交通など生活に不可欠なインフラについては、国家がより積極的な役割を果たすべきだという考え方です。
象徴的なのが経営危機に陥るテムズ・ウォーター問題で、バーナムさんに近い政策グループは、破綻企業への公的介入や公営企業の設立、さらには国債と株式を交換する「ボンド・フォー・シェア」方式などを通じて、長期的に公共サービスへの国家関与を強める構想を描いています。
そしてこれを生活費危機への対策と位置付け、水道料金・電気料金・交通費・住宅費など、生活の基礎コストが高騰するなか、公共サービスを市場原理だけに委ねた結果として「民営化プレミアム」が発生していると結論づけました。
●民営化プレミアムとは?
私もはじめて耳にした言葉ですが、経済学の正式な専門用語というより、バーナム陣営が使い始めた政治的な表現のようです。
これは「民営化された企業が、株主や投資家に利益を還元するため、本来より高い料金を国民が払わされている」という主張です。
振り返れば、英国は世界でも有数の民営化を進めた国の一つです。たとえばドイツなどでは自治体が水道事業を運営する地域も多いそうですが、英国では完全民営化されたため、料金の上昇に対する不満が強くなりやすいのかもしれません。
●財源の負担
民営化に関して市場が注目するのは、「誰が財源を負担するのか」という問題であることは私がわざわざ申し上げるまでもありません。
水道やエネルギー会社への公的関与が強まれば、最終的には政府のバランスシートへの影響が避けられません。市場が警戒するのは、新政権の政策理念そのものではなく、それが将来的に国債増発につながるかどうかです。
英国に住んでいるといつも感じるのは、トラス・ショック後の英国は、財政政策の自由度が絶対に許されない国になりました。もしかしたらバーナム政権は、この自由度を取り戻そうとしているのかもしれません。もしそうであれば、やり方を間違えれば「第2のトラス・ショック」の引き金にもなりかねず、慎重な対応が望まれます。
市場は財務相人事に神経を尖らせている
財源についてお話したので、次の疑問は当然「財務相は誰になるのか」という問題です。
このコラム記事を書きながら強く感じたのは、市場参加者はバーナム首相誕生そのものよりも、次期財務相人事に神経を尖らせているという事実でした。
現時点で候補者として名前が挙がっている人物について、簡単にまとめましたので、参考になさってください。
レイチェル・リーブス(Rachel Reeves)
現職の財務大臣
緊縮財政ルールを掲げる
市場の評価: 金融街からの信頼がもっとも厚く、財政リスクが最も低い。IMF(世界通貨基金)も評価。
課題: 防衛費を巡る閣内対立があり、過去の決定が労働党の支持率を下げた一因とされる。バーナム首相誕生なら解任との噂も。
エド・ミリバンド(Ed Miliband)
現エネルギー大臣
ネットゼロ(温室効果ガス排出実質ゼロ)政策を強力に推進。
市場の評価:「経済成長よりも他の政策を優先する」と見なされ、投資家からは危険視されている。
課題:化石燃料開発の承認保留や予算削減の拒否で、産業界や労働組合から批判を浴びている。
ウェズ・ストリーティング(Wes Streeting)
元保健大臣党内右派(ブレア派)で、本来は首相の座を狙う野心家
市場の評価:キャピタルゲイン増税と引き換えのスタートアップ支援、高度人材移民の拡大、北海油田開発容認など「進歩的資本主義」を掲げる。
課題: 将来的にはバーナムさんと激しいリーダーシップ争いをするリスクはあるが、財務相に据えれば党内融和をアピールできる。
ジョン・ヒーリー(John Healey)
元防衛大臣
防衛費の増額を巡って財務省と対立し、閣僚を辞任した経緯を持つ
市場の評価: 経済政策の実績が乏しく、借入(国債発行)増額を求める姿勢から、金融市場は警戒。
課題:バーナムさんの掲げる「英国の再工業化」と、ヒーリー氏の「防衛産業への注力」は親和性が高い。
ダークホース(大穴の候補たち)
・ミアッタ・ファンブレ(Miatta Fahnbulleh)
左派シンクタンク元代表。富裕税、インフラ国有化などを掲げる急進派。市場からは警戒される存在
・イヴェット・クーパー(Yvette Cooper)
現外務相
ブラウン政権での財務省高官などの実績があり、市場からは「手堅く安心できる存在」と見なされる。
・ルイーズ・ヘイ(Louise Haigh)
前運輸大臣でバーナム氏の盟友。財政監視機関(OBR)のルール改正や銀行への増税を主張。世論の分かれる人物。
もしリーブス氏が続投するのなら、市場の安心感は大きいでしょう。ストリーティング元保健相やクーパー外務相など財政規律を重視するとみられる人物も、比較的歓迎されるはずです。
しかしミリバンド・エネルギー相やそれ以外の候補者のように国家介入や増税に積極的な人物が起用されれば、英国債市場が警戒を強める可能性が高まります。
ここからの注目すべきポイントは?
日本に住む皆さんにとっては、バーナムさんは未知数の部分が多い方のはずです。
現在 市場が注目しているのは、
・財務相人事
・財政規律を維持しながら成長投資を拡大できるのか?
・財政ルールの扱い
・秋の予算編成
英ポンドについても、不透明感が高い状況が続くでしょう。月曜日(6月22日)午後に財務相候補として名前が挙がったストリーティングさんが、「バーナムさんからは、財務相就任のオファーを受け取っていない。実際には、何のオファーも受けていない。」と発言しただけで、英ポンドが若干売られるくらいに神経質になっています。
ひとまず英国債も英ポンドも、「バーナム首相」就任という事実以上に、その背後にある財政運営の中身を見極めようとしているのは確実ですので、しばらく神経質な展開となりそうです。

(出所:TradingView)

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